福岡高等裁判所 昭和40年(う)196号 判決 1965年12月25日
主文
原判決を破棄する。
被告人を罰金五〇、〇〇〇円に処する。
右罰金を完納することができないときは、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
原審並びに当審における訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
検察官村上三政が陳述した控訴趣意は、記録に編綴の検察官苦田文一提出の控訴趣意書に記載のとおり(但し二六枚目表九行目の「これと前記第一掲記の」とあるのを(これと後記第三掲記の」と訂正する。)であり、これに対する答弁は、弁護人古賀野茂見、同神代宗衛連名で提出の答弁書(記録編綴)に記載のとおりであるから、これを引用する。同検察官の控訴趣意(理由不備乃至は訟訴手続の法令違反及び事実誤認)について、
よつて記録を調査するに、本件公訴事実によれば、被告人が福江市東浜町七三九番地所在九州商船株式会社福江支店倉庫において、昭和三七年九月二五日午後一〇時頃宿直室で就寝し、翌二六日午前零時五分乃至午前一時頃までの間に一旦起きて煙草を喫しながら宿直室から倉庫に出て中二階下部荷物置場附近で辺りを見渡した際、一寸位になつた吸いかけを右手親指と人差指で捻じ切るようにして火が消えているものと信じ荷物の傍に投げ棄てたが、これが完全に消えていなかつたため、附近の藁屑に、さらに荷物に燃え移り、倉庫内に燃え広がつたことが出火の原因であるというにあるところ、被告人は原審公判において右時刻頃に一旦起きて倉庫内を見廻したことなく、煙草を喫つて吸殻を捨てた事実はないと主張するに反し、警察官及び検察官の取調べに対しては、いずれも公訴事実のとおり認め、裁判官の勾留質問調書においても、同様な供述をしているのである。そして原判決は被告人の司法警察員並びに検察官に対する各自白調書には任意性がなく、証拠能力を肯定できないとし、これを除けば公訴事実を認定するに足りる証拠は存しないと判断し、被告人に無罪を言渡したことが明らかである。
しかしながら、原審がその証拠能力を排斥した被告人の各自白調書以外の原裁判所において取調べた証拠に徴すると、(一)昭和三七年九月二六日午前二時過頃前記九商福江支店倉庫から出火し、旧倉庫及び近辺の現に人の住居に使用する家屋等三九七戸が焼燬したこと(二)被告人は同倉庫に勤務する労務者であり、九月二五日午後六時頃から宿直勤務に就き、午後一〇時頃就寝したが同倉庫は内部から鍵がかけられて外からは出入が遮断されていたし、同夜は被告人以外には何人も居合せなかつたこと、(三)右火災は九商倉庫から燃え拡がつて行つたものであつて、倉庫内に自然発火を考えられる物件は存せず、漏電等電気を原因とするものと推定される形跡はないことが夫々認められる。のみならず、被告人は当審において、同夜煙草二〇本入一個を持参して宿直勤務についてから喫煙したこと、九月二六日午前一時頃一旦起きて倉庫を見廻したこと、午前二時頃パチパチと燃える音で目を覚し、且つ物が焼ける臭気を感じたが、倉庫内の二本楠と久賀行きの荷物置場の荷物が中二階の天井まで燃えあがつて、火勢はものすごく、火事を知らせる電話をして、表に飛び出し近隣に火災を知らせて倉庫に引返したときには既に倉庫内には入れぬ状況だつたので、福江支店事務所まで走つて行た旨供述しているのである。これらの諸点のほか、原審が証拠能力を否定する被告人の捜査官に対する各供述調書を仔細に検討すると、以下説示するように原審の叙上の判断の論拠とする事由は是認することができない。すなわち、
先づ原判決は前記自白調書の任意性を否定する理由として、捜査官が被告人を当初参考人として取調べ、次に被疑者として逮捕するまでの取調の過程において、刑事訴訟法の諸条章乃至は精神に準拠して取調がなされていないことを掲げているが、捜査官が被告人を本件失火の参考人として取調べたところ、火元と見られる該倉庫に宿直員として唯一人所在し、喫煙の習癖があることから、被告人の煙草の火の不始末による失火ではないかと疑惑を抱いたことは当然であり、同人が夜間吸い残しの煙草を棄てた旨供述したことにより失火原因について嫌疑をかけ、被疑者として逮捕状を執行した措置に非難すべき点は見当らず、参考人としてその取調べによる調書を作成していないことを以て直ちにその後の取調べが違法となるものとは断定できない。また九月二六日午後被告人を警察官らの宿泊する善教寺に宿泊させたことについては、同人は九月二七日に犯行を自白して後、妻の急病を知らされて自宅に帰つたのであるが、その前夜は大火災の直後でもあり、被告人のみが宿泊していた前記九商倉庫から出火して大火災になり市民に迷惑をかけたので、家族にも会いたくないとの心情から、自発的に右善教寺に宿泊を申出たものであることを窺うに十分であり、被告人の原審公判における供述以外にはその意思に反して泊められたものであることを推測すべき資料はなく、その意思に反して泊められたことが九月二七日の自白に関連があると見ることはできない。さらに検察官から同人に対する裁判官の尋問を請求していないことは毫もこれを不当とはいえないし、他に被告人に対する取調べに違法があつたことを肯定する証拠は見出し得ないところである。
次に、被告人の各供述調書の被告人の失火事実を肯定した供述の記載の間に喰違いがあることから、その各供述調書の任意性に疑があるとする点について考察するに、原判決が指摘する煙草の吸い方、宿直室を出て戻るまでの足どり、吸殻を捨てた位置、吸殻の火の消し方及び捨て方等に見られる相違は、当初の簡略が次第に詳細となつていることは看取されるとしても、その差異は細末な部分に関するものであつて、相互に相排斥するような本質的な矛盾を含むものとは解し難く、単に表現上若干の差異と見られ、各供述自体の真実性について致命的な欠陥ということはできず、この点から各供述調書の任意性を排斥する事由とするのは早計の憾みがある。蓋し、被疑者は取調官からの強制、誘導がないときにおいても、捜査の進展につれその供述が詳細となり、重要な事項に関すると否とに拘らず、主要の事実たると附随事実たるとを問わず、供述事項に増加、変更がなされ、より具体化することは往々にしてあり得ることであり、且つ同一人による同一相手の取調べに対する答も、何等の意図が働かなくとも、時を異にするに従つて多少の差異を見せることは経験則に照して明らかであるからである。
更に原判決が指摘する昭和三七年一〇月一七日付羽田検察官作成の被告人の供述調書において、被告人は夜半九商倉庫内で煙草の吸殻を捨てた旨の警察官や検察官に対する供述は虚偽のものであると述べているけれども、同調書中では大久保警部からは従来無理な取調べを受けていないと述べながら、原審公判に至つて始めて同警部から脅迫的な取調べを受けたと主張するに至つた経緯、同調書は九州商船の福江支店長と共に長崎に赴き、弁護人から本件について助言を受けて、自ら検察庁に出頭し、三浦副検事の許に行くよう指示されながら、羽田検事の取調を求めて供述したものであるが、前記九月二六日に善教寺に泊つたのは自ら希望したものでないこと、その他警察官から脅迫的な取調べを受けた事情について何等述べていないこと及び被告人が公判において大久保警部から失火の方法について指示されたという第一の方法は大久保作成の九月二七日付の自白調書には記載なく、一〇月一日付の自白調書以後のものにこれが記載されているが、第二の方法すなわち、荷物に押しつけて火を揉み消したことについては、遂に何れの自白調書にも出ていないこと、その他一〇月一七日付否認調書と原審公判における否認の供述との間に大きな喰違があること等諸般の状況に照し、同警部から強制、誘導された結果により自供したものとは認め難い。
のみらず、検察官に対する事件送致前に大久保警部が被告人に対して為した発言を以て、被告人に心理的影響を与え、これが検察庁における虚偽の供述となつたと推測するに足りる資料はなく、公判廷における証人としての大久保警部が被告人から質問された際の態度や供述内容から原判決説示のように同警部作成の自白調書の任意性を否定することについては、公判廷において極力捜査段階における自白を覆えそうとする被告人の主張のうちに、往々真実に反するものがあり得ることに徴し、原審の判断は些か先入観に囚われた嫌がないでもないと見られるので、たやすく同調し難く、他にその任意性に疑があるとすることを首肯させるに足りる理由は示されていない。
なお、原判決のいうように、被告人が警察官の強制誘導乃至は不当な示唆による影響下において、検察官に対する供述に際しても虚偽の自白をしたものとする点については、被告人自身原審公判廷において検事からは押しつけられたこともなく、正直に述べた旨供述していること、検察官調書の内容自体、これを他の証拠と対比することにより、その任意性を疑うべき事由は見出し得ない。
それ故、原判決が説示するように、被告人の捜査段階における各自白調書の任意性を否定する合理的理由は発見することができない。
而して当裁判所における事実取調べの結果に徴しても、前記九商倉庫には菰包或はけケース入等の諸荷物が集積されており、その入出庫に際し藁屑等が散乱して、夕方掃除することがあつても、これが全く土間に残つていないとは保証し難いし、右倉庫等には隙間などがあり、当時の風速などを勘案しても燃焼を助長する状況にあつたことが窺われ、被告人が各自白調書及び一〇月九日付実況見分調書に見られるような煙草の吸い残りの捨て方によつて、在庫の荷物に燃え移る蓋然性がないとは到底考えられないこと、被告人の裁判官による勾留質問調書、出火当時の状況並びに該倉庫内の様相に関する各関係者の供述があることからしても、被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書の任意性、並びに真実性には何らの欠陥もなく、その信憑性を否定するに由ないので、これらを綜合して考察すれば、本件公訴事実は優にこれを認め得られるものといわねばならない。
然るに、原判決が、証拠能力が認められない被告人の自白調書のほかにはその有罪を認定すべき証拠がないと判断したのは、ひつきよう、証拠の証明力の判断を誤り、且つ適法な証拠の判断を遺脱したものであつて、判決の理由不備乃至は事実誤認の過誤があるものというべく、その誤りは判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。
そこで、刑事訴訟法第三九七条第一項に則り原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書に従い更に自ら判決することとする。
(罪となるべき事実)
被告人は長崎県福江市東浜町七三九番地所在の九州商船株式会社福江支店倉庫に労務員として勤務する者であるが、昭和三七年九月二五日午後六時頃から右倉庫の宿直勤務につき、午後一〇時頃就寝し、翌二六日午前一時頃一旦起きて煙草を喫しながら右倉庫内を見巡つた際、その吸殻を完全に消火せずに倉庫内に投棄すれば、同所には藁屑等が散在しかつ菰包、ケース等が集積されていたため、右吸殻の火がこれらに引火する危険性があるにも拘らず、既に火気はないものと軽信して不注意にも完全に消火しない吸殻を倉庫内久賀・二本楠等方面荷物置場附近に投棄してそのまま再び就寝した過失により、同日午前二時頃右吸殻より附近荷物に燃え移り、現に人の住居に使用する右倉庫及びこれに隣接した同所附近の住家等三九七戸を燃燬するに至らしめたものである。
(証拠の標目)<略>
(法令の適用)
被告人の判示所為は刑法第一一六条第一項、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に該当するので、その所定罰金額の範囲内で被告人を罰金五〇、〇〇〇円に処し、右罰金を完納することができないときは、刑法第一八条に則り金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、原審における訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文に従い被告人をして負担させることとする。
よつて主文のとおり判決する。
(岡林次郎 山本茂 松田冨士也)